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★竹久夢二 木版画「三味線を弾く娘」★
商品詳細
■作家・作品詳細
竹久夢二(たけひさゆめじ) 本名、竹久茂次郎(たけひさもじろう)。
1884年9月16日~1934年9月1日
日本の画家・詩人。
数多くの美人画を残しており、その抒情的な作品は「夢二式美人」と
呼ばれた。
大正ロマンを代表する画家で、「大正の浮世絵師」などと呼ばれた
こともある。
又、児童雑誌や詩文の挿絵も描いた。
略歴
1884年 9月16日、岡山県邑久郡本庄村生まれ。
1902年 9月、早稲田実業学校入学。
1905年 6月『中学世界』に投稿したコマ絵が第一賞に入選。
画号「夢二」の初出。
1907年 1月、金沢出身の岸他万喜(きしたまき)と結婚。
彼女をモデルに「夢二式美人画」誕生。
翌々年5月に協議離婚。
1909年 12月、処女作『夢二画集 春の巻』刊行。
以後、生涯に著作本57冊を刊行。それらのほとんどを
自ら装幀。
1910年 4月-5月、京都の堀内清宅に滞在後、金沢初訪問。
5月5日~18日新川除町「基督教青年会館」に滞在。
1912年 11月23日~12月2日、京都府立図書館で「第一回夢二作品展覧会」。
1914年 10月1日、たまきを女主人として東京日本橋に「港屋絵草紙店」開店。
夢二デザインの小間物類を扱った。
間もなく永遠の恋人・笠井彦乃と親しくなる。
1916年 11月、京都に転居、12月次男・不二彦も合流。
1917年 6月、上洛した彦乃と同棲開始。
8月、この3人で66日間の北陸・加賀の旅へ。
金沢の金谷館(西町)では西出朝風の協力で「夢二抒情小品展覧会」開催。
西尾源二郎、木戸芳二、殿田良作らとも親交を結ぶ。
9月24日~10月16日、郊外の湯涌温泉に滞在。
彦乃をモデルに≪湯の街≫制作。
1918年 9月、「宵待草」がセノオ楽譜として発売され、大流行。
セノオ楽譜には大正5年より表紙絵約280点を手がけ、
作詞24曲も提供。
11月、東京に戻り、本郷の菊富士ホテルに大正10年まで止宿。
1919年 2月、彦乃へと捧げた歌集『山へよする』刊行。
春頃、佐々木カ子ヨ(お葉)がモデルとなる。
1920年 1月16日、彦乃、東京順天堂医院で永眠(25歳)。
2月、京都の「清文堂」主人・大槻笹舟と木版画《宝船》完成・販売。
9月、西出朝風らの口語短歌集『第一群』刊行に参加。
1923年 9月1日、関東大震災により「どんたく図案社」計画の頓挫。
『都新聞』に「東京災難画信」を連載。
1924年 12月29日、東京荏原郡松沢村にアトリエ付住宅「少年山荘」
(別名「山帰来荘」)を新築し、お葉や息子たちと同居。
1925年 4月、お葉は、金沢郊外の深谷温泉に逗留。
6月~7月、再度金沢に滞在、夢二との別れを決意。
大正末~昭和初期、画号「夢生」を使用しはじめる。
1929年 2月、吉井勇らと山中温泉経由で三度目の金沢訪問。
1930年 5月、「榛名山美術研究所」設立宣言。
1931年 5月7日、翁久允とともに船でアメリカ西海岸へ出発。
1932年 10月10日、ヨーロッパに到着、各地でスケッチ・画信等制作。
1933年 2月~6月、ドイツのイッテン・シューレ(一天画塾)で
日本画教育担当。
9月18日、イタリアから帰国。
11月、台湾から帰国後、病臥。
1934年 1月、長野県富士見高原療養所に緊急入院。
9月1日早朝、「ありがとう」を最後に永眠。
雑司ヶ谷墓地に埋葬。墓碑銘を有島生馬が書く。
★作品タイトル「三味線を弾く娘」
本作品の制作時期、版元は不明です。
作家晩年期、大正末頃から使い始めた「夢生」の画号の作品。
少しうつつの表情も見て取れます。
昭和初頭、夢を膨らませ渡米、渡欧したが世界恐慌や世情が安定せず、
思うように絵が売れず失望と苦難の連続でした。
失意のまま帰国、その翌年永眠。
旅と人と仕事を愛した一生でした。
■サイズ・コンディション、その他
サイズ
作品 36cm×46cm
額縁 52cm×67.5cm
コンディション
作品は各所薄シミ有ります。
額縁は綺麗な状態です。旧額縁不良につき取り替え済み
その他
作品面に作家版上サイン有り
かぶせ箱有り
プチプチで保護し段ボール梱包(配送注意:ガラスワレモノシール貼り発送)
致しますが、ガラスカバーなど配送中万が一破損しても保証対象外に
なりますのでご了承願います。
見出し掲載欄の「商品の状態」は、作品の評価としますので、
額縁の状態は別途コンディションにて参照下さい。
基本的に額縁は無価値とお考え願います。
尚、額縁や作品の主観による評価の双方の差異はご容赦願います。
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